大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクト

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古代イラン文化遺跡データベース
Database of Archaeological Heritages of Ancient Iranian Culture

サーサーン朝期のナクシェ・ロスタム

  
時代区分: サーサーン朝期


サーサーン朝のナクシェ・ロスタム

アケメネス朝王家の墓場であったナクシェ・ロスタムはサーサーン朝時代でも聖域として機能していた。ここには八点のサーサーン朝諸王の王権叙任,戦闘勝利を記念する浮彫,四点の中期ペルシア語による碑文が彫られている。さらにこの場所はエラム時代から聖域であった。上記の写真では十字墓の下にサーサーン朝期の浮彫が軒を並べる。

[細目]


アルダシール一世の王権叙任
ナクシェ・ロスタムの浮彫群の左端に位置する。オフルマズドとアルダシール一世はともに馬上でディアデマの授受を行う。アルダシール一世の馬とオフルマズドの馬の前胸にはギリシャ語,中期ペルシア語,パルティア語による碑文が刻まれている。

シャープール一世のヴァレリアヌスに対する勝利
騎乗のシャープール一世に対してひざまついて懇願するローマ王ヴァレリアヌスを描く。ヴァレリアヌスの後にはたぶんローマ人の王と見られる人物が立っている。左端にはゾロアスター教の大司教ケルディールの肖像が描かれ,中期ペルシア語の碑文が刻まれている。

シャープール二世の騎馬戦
カーベイェ・ザルドゥシュトの向かい正面,ダリウス二世の墓の下に彫られている。中央にシャープール二世と思われる王が敵を殺している。向かって左半分は空白になっている。

ナルセフの王権叙任
「未完成のパネル」の左横に彫られている。向かって右端のアナーヒター女神がナルセフにディアデマを授けている。両者の間には小童が刻まれている。ナルセフの後には二人の家臣が並んでいる。後方の家臣は未完成。

ホルミズド二世の騎馬戦
長槍で倒れる敵,勝利したホルミズド二世,旗持ちを描く。この王をホルミズド二世とするには批判もある。技法的には,フィルーザーバード「アルダシールの勝利」の技法を継承する。

バフラーム二世と家臣
アルタクセルクセス一世王墓の左下に彫られている。もともとエラム時代の浮彫を削ってその上に彫られた。向かって左端にエラム時代の王らしい人物の頭部とが,右側にはとぐろを巻いた蛇状の玉座に座った神像,右側面には人物像が残っている。これはナクシェ・ロスタムがエラム時代からの聖域であったことを示している。

バフラーム二世の騎馬戦の勝利
ダリウス一世の十字墓の下に彫られている。向かって左にバフラーム王。右に倒れる敵を描く。背景に旗と旗持ちが彫られている

バフラーム二世の王子の騎馬戦
「バフラーム二世の騎馬戦の勝利」の下に彫られている。王子は向かって左に,対する敵は右に彫られている。王子の馬の下には敵王の死体が踏みつけられている。

石造物(いわゆる拝火壇)
ナクシュ・エ・ロスタムから西150mばかりのところ,ホセイン山の西側斜面の麓に岩から切り出した一対の祭壇状の石造物がある。チャハール・ターク(4面アーチ状の建物)の形状をしている。イランでこの種の形状をした建物はサーサーン朝時代から現れているので,これもサーサーン朝時代のものと考えられる。向かって右横に階段が一部残っている。向かって左の屋上には方形の窪みが,右の屋上には円形の窪みがある。一般には,拝火殿とされているが,拝火壇かどうか,横の階段も含めてその用途は正確には不明である。

納骨窟(オストダーン)
紀元前4世紀頃から墓窟にかわって納骨窟が広く用いられるようになった。ナクシェ・ロスタムの中にもそれと思われる窟がいくつか見える。その大きい集合体はナクシェ・ロスタムの左手を300mほど進んだところにある。正面に15個の納骨窟,右端に6個の納骨窟がある。一部の窟には碑文らしきものが刻まれているものもある。サーサーン朝時代に比定できるかもしれない。